必死の人生を生きてきた人達に、ニセモノは見せられない―永山智行 こふく劇場「ただいま」

宮崎県三股町で5月下旬に開催された「みまた演劇フェスティバル『まちドラ!2018』」の最中に、フェスティバルディレクターも務める永山さんにお話をお聞きしました。

―こふく劇場の年間の活動を教えて頂けますか?

永山 もちろん作品を創るのがメインなんですが、もう一つ三股(三股町立文化会館)での活動というのがあります。三股では今4月5月に「まちドラ!」、6月から3月まで子ども達とつくる「みまた座」をやっています。「まちドラ!」はもともと戯曲講座がベースになっていて、講座は今年で15年目を迎えます。この文化会館が特殊な(笑)場所で、(話しているのは)事務所なんですけど、みんな出入り自由みたいになっていて、週1回みまた座の稽古に、ホールの裏口から子ども達が入ってきて「ただいま~」みたいな感じで、ここで宿題してる。ここにオープンな、フリースペースのような場があって、人が集まってくる。当時の文化会館の担当者が「ただ催しがあるときだけここに人が集まるということじゃなくて、ちゃんと毎週ここに誰かが集まってくる空間をつくりたい」と言うので、みまた座をはじめ、戯曲講座は私の提案だったんですけど、やりましょうということで始まりました。戯曲が完成すると、担当の方が「せっかく出来たんだからそれをリーディングでいいので公演するカタチにしましょう」と言って、最初はホールで「ヨムドラ!」という名前でリーディング公演をやったんですよ、6作品。それを続けているうちに今度は会館が10周年を迎えて、ワイルダーの「わが町」をベースにした「おはよう、わが町」という三股を舞台にした作品を上演した。そこにみまた座の子ども達も出演したり、公募の町民の方も沢山出て、更にみまた座(に出演した子ども)の親が出てきたり…、そしたらその参加した大人達が「また、なんかやらせろ」っていう空気になったんですよ(笑)、味をしめて。
じゃあ、それまでやっていた戯曲講座のリーディングを6作品、これまで九州の劇団さんにお願いしていたんですけど、それを3チームは町民チーム、残り3チームはこれまで通り劇団さんで、町民チームの演出は九州の演出家にお願いしてというカタチでやることに。で、たまたまその1年前に鳥の演劇祭に参加させてもらっていて、そこが町歩きとかもやる。あ、これは面白いなと思って、町歩きをしつつ、リーディングを各開催会場でやって、最後はここ(三股町立文化会館)でお芝居を観る。そういう流れをつくったのが、この「まちドラ!」。今年で7年目になります。みまた座というのがあって、戯曲講座があって、「まちドラ!」があって、結局、うち1年を通してここに居るんですよ、いろんなカタチで。

―何らかの演劇が続いている訳ですね。

永山 6月から翌年3月まではみまた座があるし、4月5月は「まちドラ!」がある。ずっとここという場所で、町民の方と演劇というものを通して関わらせて頂いていますね。だから劇団でツアー行く時とかって、前回の「ただいま」もそうだったんですけど、三股がツアーのスタートだったから、みなさんが寄せ書きした横断幕を持って、「いってらっしゃ~い」と、三股の子ども達とか大人達、町民の方々が見送って下さる。それが我々の中では非常に大きい。作品をつくって、誰に見せたいかというところで顔が浮かぶ関係性があるというのは、私たちにとっては作品を作る手掛かりになっていると思います。

―3年前にこふく劇場「ただいま」三重公演を拝見して、私たちは落ち込みまして。それはなぜかというと地域で作品を作り続けることって孤独になりがちじゃないですか?何かといろんなことに理由を付けて「だから地域は」と、地域のせいにしようとする。でも、この作品を見た時に「地域でこれだけのクオリティを保たれてやり続けているカンパニーがあるなんて、僕らは何を甘えたこと言ってんだ」と大反省しまして(笑)。町民達と演劇をつくる一方で、こふく劇場というカンパニーでつくるというのはどういう感覚でやられているんですか?

永山 それは全然別と思っていなくて、繋がっています。やっぱり私たちは町民の方に出会うことで、その人達一人一人の人生とすごく出会うんですよね。「ああ、こういう事情を抱えてこの人は三股に逃げてきたんだ」とか分かるし、そういうね、一人一人との出会いっていうのが作品をつくる土台になっていて、そこからどう作品をつくるかっていうのがありますね。で、そういう人達に「ニセモノは見せられないな」というのはあるんですよ。必死の人生を生きてきた人達に。
「あれはお芝居だけの話だよね」とか演劇の中だけで完結しているモノっていうのを恥ずかしくて見せられない。必死の人生を生きてきた人達にはどんなものを見せられるかっていったら、やはり「舞台上にウソを持ち込まない」ということ。私たちが一番大事にしていることなんですけど、本当に「ま、演劇だからね」みたいなことを言い訳にしないっていうことです。それはもう、ここでこうやって町民の方とまみれながら、やらせてもらっていることと地続きのことだと思うんですよね。

―今回、三重も含め、再演となる「ただいま」なんですが、この作品をつくろうと思ったのは、やはり三股の人々との出会いが大いに関係することになりますか?

永山 それは大きいですよね。「人が生きるってどういうことなのかな?」とか「人生っていう時間を過ごすってどういうことなのかな?」っていうのはここで出会う人達から考えさせられていることです。みんなそれぞれの暮らしをしていて、ご飯を食べて、「おはよう」って言って、またいろんな人と出会って、そんな人間の営みというモノのかけがえのなさみたいなものは、本当にそこから生まれたと思いますね。

―前回、三重にお越し頂いて上演して頂いた時は、圧倒的な評価でした。

永山 いやいやいや、あのツアーで一番熱かったのは三重のお客さんでした(笑)

―「ただいま」の再演に当たって、何か変化というのはあったんでしょうか?

永山 今、ちょうど稽古してる最中なんですけど、俳優も3年ほど年齢を重ねて、彼ら自身の物の見方や考え方も変わってきていると思うんですよね。それをあえて出そうというよりはにじみ出てくるものがあるんじゃないのかなあとは思っていて、それを自然に、嘘偽りなく舞台に上げることかなと。(※3年前と出演者が1名変わっています)

―また「ただいま」では音楽が重要な要素を担っていますね。

永山 音楽はこの作品だけじゃなくて、私が作品をつくる時の手掛かりにしている所です。話す言葉もそうだし、足音もそうだし、人のたてる音もそうだし、それらを音楽と捉えていて、人が生きるってことは音をたてることだと思うんで、そこも含めて一つの音楽の作品をつくっているという感覚はどの作品でもいつもあるんですね。特にこの作品に関してはその部分が非常に強いし、作品の構想を最初考えていた時も、カセットテープのA面B面みたいなイメージの構造というのはちょっとあって、一つ一つのシーンがメロディーなり曲になるといいなと思ってつくっています。

―「ただいま」の中では、本筋からお話が少し離れていき、またその拡がりが、その後の誘いにもなっていて、面白かったんですが。

永山 この作品は自由に書けたなあと思ったんですよね。ある種の小説的な描写、私は小説を書いていたわけでもないし、どちらかというとそういうのを書くのは得意ではなくて。ワンシチュエーションのものを書くことが多かったので、その中でどう入れるかみたいなことを考えてる時に、ちょっとああいう書き方をしたら、思うがままにあらぬ方向へ行っちゃうみたいなことが、結構自由に出来たんです。私いつもほとんど先を決めずに書くんですよ、最後とかあんまり何にも考えずに書くから、そういう意味ではすごくその時々の妄想が拡がってゆく方向に書けたかなあという気はしていますね。

―今回の三重公演は、3年前の津あけぼの座から、三重県文化会館での上演となります。

永山 楽しみですよね、三重に再び行けるっていうのは本当嬉しくて。お客さんがどういう方が来て下さるのかな、どういう出会いがあるのかなという所は楽しみです。

取材・文=油田晃
舞台写真=「ただいま」(2015)